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2003年統一地方選徳島県議会選挙と県議会会派

円藤知事の不祥事後の大田正徳との議会との権力闘争や吉野川の堰や木頭村のダム反対などを通じて非自民が一定の力を持つ。
民主党も政調会長を務め,若手にも人望のある仙谷氏が徳島1区を確保。ジャストシステムや大塚製薬・日亜化学と特徴ある企業も勃興するなど単なる保守王国 ではない。
県議会に於いては県民会議と交友会が自民系二大勢力としてある。何故統一されないかは不明。恐らく阿波戦争の名残かとは思うのだが。。

=所属会派(2003年当選)=→その後(2006 年9月末時点)

自民党
県民会議(14)
自民党
交友会(8)
新風21 (6)
日 本共産党(4)
県民ネッ トワーク・夢(4)
その他(3)
徳島市
(13)
竹内 資浩C(副議長)
森本 尚樹C→
福山 守C→ 庄野 昌彦B
冨浦 良治B
橋本 弘房B
山田 豊B
古田 美知代A
本 田 耕一@→□
豊岡 和美@→
長尾 哲見C
<公明党県議団>
大西 章英B
<公明党県議団>
=県北部=






鳴門市(3)
川端 正義A
吉田 忠志C
榊  武夫D


板野郡(5) 木南 征美A藍住
森田 正博A板野
北島 勝也C北島
臼木 春夫A北島
扶川 敦@板野


阿波郡(1)

須見 照彦A




=県南部=






阿南市(3)
嘉見 博之A→
遠藤 一美D


達田 良子@


小松島市(2)
宮城 覺B




長池 武一郎B
<徳島一新会>→
那賀第一(1)
児島 勝D(議長)




那賀第二(1)



宮本 公博@→
海部郡(2)
重清 佳之A→ 西沢 貴朗C




勝浦郡(1) 岡本 富治B





=県中西部=






吉野川市(2)=欠1



吉田 益子@

名西郡(2)
中谷 浩治G→
佐藤 圭甫C




美馬郡(3)
阿川 利量J
藤田 豊B
木下 功@




三好郡(3)=欠1
来代 正文C→

黒 川 征一A




2003年統一地方選挙による勢力の変化

県民会議 17→16>14
交友会 11→8
新風21 6→6
県民ネットワーク夢 −→4
公明党 2→2
共産党 2→3
五月会 2→0
自由党 1→徳島一新会1
無所属 1→1

議員辞職した3名はそれぞれ当選後の所属会派は不明であるがこ の辺を参考に選挙前の会派に引き続いて所属と仮定。


◇徳島県議会議員選挙(2003年4月13日)
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Poplar/5755/c2003-tokushima.htm
全体の投票率は58.69%(前回の投票率は63.96%)。
定数は42。党派別当選者数は以下の通り。
自民党=16/21、共産党=4/5、勝手連=3/7、民主党=2/3
公明党=2/2 、 諸派(新社会)=0/1
無所属=15/17
15名の当選後の身の振り
自民交友会所属   7(内自民推薦が4)
自民県民会議所属  1(内自民推薦が1?)
新風21所属      4(内民主社民推薦が1)
県民ネットワーク夢  1
徳島一新会所属   1(内自由党推薦が1)
※勝手連(勝手連サポートセンター)は徳島県の地域政党。
所属の欄の記号解説:→当選後の所属会派,←当選前の所属会派
1999年当選時の所属会派は以下のページを参照にした。
http://www.ryoshiki.net/chiho/tokushima.html
自公に拠る疑惑隠しは今思い出すだけでも腹が立ってくる。
三木も後藤田も泣いて居るぞ。




□各選挙区の開票結果

◇徳島(佐那河内村を含む) (定数13)
当選:勝自自民公公共勝無無無共
所属:県会3交友1新風3県ネ夢2共2公2

得票
氏名

現新
党派

11889 本田 耕一 47
新@
勝手連
→県民ネットワーク夢→無所属
8124 福山 守 50
現C
自民
→交友会→明政会
8118 柴田 嘉之 66
現E
自民
→県民会議県議選での公選法違反容疑で逮捕,辞職
←県民会議
8021 竹内 資浩 58
現C
自民
→県民会議→新政会
7589 庄野 昌彦 45
現B
民主
→新風21
7411 長尾 哲見 52
現C
公明

7343 大西 章英 45
現B
公明

6627 山田 豊 52
現B
共産


6042 豊岡 和美 41
新@
勝手連
→県民ネットワーク夢→「改革・ 一新」県政会
5953 冨浦 良治 49
現B
無所属
→新風21
5788 橋本 弘房 48
現B
無所属
→新風21

5489 森本 尚樹 50
現C
無所属
→県民会議→「改革・ 一新」県政会

5115 古田 美知代 54
現A
共産


4835 高開 千代子 49

新社会


4332 吉坂 保紀 26

民主



◇鳴門(定数3) 無投票

名前

現新
党派
所属
[当] 吉田忠志 55
現C
自民
→交友会
[当] 榊 武夫 71
現D
民主
→新風21
[当] 川端正義 49
現A
無所属= 自民
→県民会議→新政会

◆小松島・勝浦(定数3)

得票
候補者名

現新
党派
所属
◇小松島(定数2)
5,425 宮城 覚 70
元B
無所属= 自民 →県民会議→新政会
5,165 長池武一郎 62
現B
無所属= 自由 →徳島一新会→「改革・ 一新」県政会
←ガンバレ自由党

5,123 喜田 義明 59

自民
→05市長選出馬(落選)
←交友会

4,000 萬宮千鶴子 62

勝手連
◇勝浦(定数1) 無投票
[当] 無投票
岡本 富治 54
現B
無所属=自民
→県民会議→新政会

◇小松島市長選挙(2005年1月23日実施)
開票結果 投票率54.37%
当10916 稲田米昭(無新、59歳、初当選)
  7775 喜田義明(無新、61歳)


◆阿南(定数4)
得票
氏名

現新
党派
その他
◇阿南(定数3)



7,102
達田 良子 52
新@
共産

6,737
嘉見 博之 55
現A
無所属
→県民会議→明政会

6,707
遠藤 一美 77
現D
自民
→県民会議→新政会 新政会会長

5,445
谷 善雄 54

自民
←交友会
◇那賀一(那賀川町、羽ノ浦町→阿南市と合 併) (定数1) 無投票

無投票
児島 勝 50
現D
自民
→交友会
次回は定数4になるんだし民主も一旗揚げたい。。

◇名西(定数2) 無投票

氏名

現新
党派
会派
[当] 佐藤圭甫 62
現C
自民 →交友会 交友会会長
[当] 中谷浩治 78
現G
自民 →県民会議→明政会 明政会会長


◇那賀二(鷲敷町、相生町、上那賀町、木沢村、木頭村) (定数1)→那賀第1の阿南合併により次回から「那賀(定数1)」へ

得票
氏名

現新
党派
会派
4,116 宮本 公博 57
新@
無所属 →県民ネットワーク夢→「改革・ 一新」県政会

3,846 杉本 直樹 61

自民
←交友会
定数1で非自民の勝利。素晴らしいですねぇ。

◇海部(定数2)

得票
氏名

現新
党派
会派

5,856
重清 佳之 42
現A
無所属
→県民会議→明政会
←無所属
5,676 西沢貴朗 52
現C
自民
→交友会

4,500 西口 晃 56

勝手連=みど り



◇板野(定数5)→次回から定数6へ

得票
候補者名

現新
党派等
所属
8485 北島 勝也 60
現C
自民
→交友会
8198 扶川 敦 46
新@
共産
8016 木南 征美 58
現A
無所属=自民 →県民会議→新政会
7094 森田 正博 65
現A
自民 →県民会議→新政会
6854 臼木 春夫 55
現A
無所属= 民主・社民 →新風21

5355 久次米 圭一郎 68

無所属
←五月会

3426 石井 哲夫 48

勝手連=みど り

久次米圭一郎氏は三木派の参院議員の父を持つ三木派の系譜らしい。
前回まで徳島市選挙区の谷口 修と五月会を形成していたが谷口氏は引退,久次米氏も落選で会派は解消。
問責決議にも不信任案にも賛成してるし無くなったところで別に構わないが。

◇阿波(定数1) 無投票

氏名

現新
党派

[当] 須見 照彦 62
現A
無所属= 自民 →交友会

◇麻植(定数2→吉野川:定数2)

得票
候補者名


党派等
所属
9,725 川真田 哲哉 55
現D
自民 →吉野川市長に転身
←交友会
7,359 吉田 益子 43
新@
勝手連 →県民ネットワーク・夢
このページの作成に辺り吉田女史のHPが大変参考になりました。感謝。

6,487 樫本 孝 56
現(3)
自民 ←県民会議

1,138 大草 善衛 68

共産


◇美馬(定数3)→美馬第1,美馬第2

得票
候補者名

現新
党派
所属
7729 阿川 利量  72
現J
自民 →県民会議→新政会=美馬第2
6909 藤田 豊 59
現B
自民 →県民会議→新政会=美馬第1
5529 木下 功 60
新@
無所属 →交友会=美馬第1

5248 藤田 育美 54

無所属

5167 大西 仁 64

自民
←県民会議


◇三好(定数3)→三好第1(定数2),三好第2(定数1)に分割

得票
氏名

現新
党派

11,578 来代 正文 57
現C
自民
→県民会議→「改革・ 一新」県政会=三好第1
9,778 黒川 征一 55
現A
無所属
→新風21=三好第1
8,038 元木 宏 67
現F
自民
→公選法違反罪で起訴,辞職
←県民会議

2,929 工藤 政幸 53

勝手連


元木氏の辞職に伴い1議席空白だったが,合併に伴い選挙区分割しかも即選挙で元木氏の二世に議席を継承させようとしたが,この自民党の党利党略も,元木2 世の落選で失敗したようである。ざまーみろ。また07年の本選もこの構図で行われることになりそうであり,それ迄は自民党色の強い?西尾氏も会派入りは見 合わせか?

県議補選三好2区開票結果(選管最終)(欠員1−立候補2)

得票
氏名

現新
党派
経歴
その他

5,810 西尾 大生 66 新@ 無所属
旧三好町長
会派:無所属
 

5,280

元木 章生 34 無所属
公選法違反で辞職した県議元木宏息

▽投票総数 11,249▽有効 11,090▽無効 159


県議補選三好第2選挙区 4月17日付
http://www.topics.or.jp/senkyo/2006news/0417-2.html
西尾氏が初当選 県議補選三好2区、元木氏に530票差

 三好第2選挙区の徳島県議補選(欠員一)は十六日、投開票され、新人で旧三好町長の西尾大生氏(66)=東みよし町昼間、無所属= が、元県職員の元木章 生氏(34)=同町加茂、無所属=を五百三十票の小差で破り、初当選した。任期は来年四月二十九日まで。投票率は86・83%で、前回県議選(二〇〇三 年)の旧三加茂、旧三好両町の平均投票率74・90%を約12ポイント上回った。

 西尾氏は告示前に千人規模の決起大会を開くなど、早くから活発な組織戦を展開。町長二期の実績で地元・三好地区を固めつつ、三加茂 地区でも商工関係者ら を足掛かりに支持を広げた。東みよし町長に旧三加茂町長が就いた経緯から「旧両町融和のために県議は三好から」と訴えたのも功を奏し、有権者が二千八百人 余り多い旧三加茂町の相手地盤を切り崩した。

 元木氏は県議を七期務めた父・宏氏の支援者や同級生を軸に、若さをアピールした活動を展開。選挙準備中に一時あった無投票ムード や、宏氏が前回県議選で 選挙違反に問われたことなどが影響して出足が鈍かった。終盤、危機感をばねに激しく追い上げたが、地元票を固めきれなかった。

 西尾 大生氏(にしお・ひろお)池田高卒。1979年から旧三好町議4期、98年から2006年2月まで同町長2期。県レスリング協会長。県体育協会理 事。東みよし町昼間。当選1回。





読売新聞が見つめた 徳島50年
1970年代 三角代理戦争

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokushima/kikaku/001/3.htm

 県議の久次米圭一郎さん(65)は、父で元参議院議員の健太郎さんが、生前に一度だけ気弱な表情を見せたのを覚えている。一九七三年十月一日。 参院選の党公認から漏れた日だった。藍住町の自宅で、「どうだろう」と聞かれた低い声だけが印象に残っている。圭一郎さんは「『公認を失い、後藤田に勝て るのか』と、口には出さないが父の悲痛な思いを感じた」と当時を思い返した。

 この選挙は、田中角栄首相と三木武夫副総理の自民党内の派閥抗争が徳島に飛び火した構図で、「三角代理戦争」と呼ばれ、全国的に注目を集めた。

 三木副総理のおひざ元の徳島で「田中の懐刀」と言われた後藤田正晴さんが出馬、保守を二分する熾(し)烈(れつ)な争いとなった。後藤田 さんは自著で、「あの選挙は自分の人生の最大の汚点」と書いている。選挙に敗れたうえ、自陣営から多数の選挙違反者を出した苦い思いがこもっている。

 後藤田さんは警察庁長官、田中内閣では官房副長官と要職を歴任し、その実力は誰もが認める存在。政界入りを決意し、選挙の一年前から“三木王国” で準備を進めていた。一方、現職で三木派の久次米さんも再選を目指していたため、党県連は公認問題で揺れた。

 当初は、公認を県連総務会の推薦投票で決めるとされたが、開票結果が公表されないまま党本部の決定に委譲。結局、公認は後藤田さんに落ち 着いたが、公認から漏れた久次米さんは翌日、「党の決定に納得がいかない」と無所属での出馬を表明。選挙は、〈骨肉の争い〉の様相を呈した。

◇  ◇

 公示前から後藤田、久次米両派は、系列の県議、市町村長を巻き込んだ激烈な事前運動を展開する。当時の知事、武市恭信さん(85)も、その渦に巻 き込まれた一人だった。

 「今だから言えるんやけどな」。貞光町の自宅で武市さんは、こう切り出した。四年前に脳こうそくを患ったというが、当時の記憶は鮮明だった。

 武市さんは、“三木王国の城代家老”と呼ばれたが、知事の立場から党本部の決定を重視。久次米さんへの肩入れを避け、後藤田さんとも距離を置き中 立を心がけた。しかし、両派は知事の争奪戦を繰り広げる。

 公示前日の七四年六月十四日、江崎真澄・党幹事長代理と三木与吉郎・県連会長が知事公舎を訪れ、武市さんに詰め寄った。「君だって自民党 員だろう。公認の後藤田君を推してくれ」。選挙戦中盤の同二十二日には、東京の党本部に呼び出され、橋本登美三郎・党幹事長から「君には迷惑をかけとる」 と現金入りの茶封筒を渡されそうになった。

 「恐らく三千万円は入っていたな。用件ははじめから分かっとった。受け取っていたら後藤田支援を迫られただろう」と武市さん。

 その五日後、今度は三木副総理から呼び出された。「久次米君を勝たせたい。みんなが君が踏み切れば勝てるという。どうかね」と懇願された。武市さ んは「できません」と固辞した。

 選挙中は、田中首相や閣僚が後藤田応援のため次々と徳島入り。久次米さんの公認漏れ以来、表だった動きを控えていた三木副総理も徳島に戻 る準備を進めていた。「時の総理と副総理が徳島で一騎打ちし、片方が一敗地にまみれるなんて天下に恥をさらすようなもの。党員としても、県民代表としても それは避けたかった」。武市さんは投開票四日前になって久次米支持を表明、離党届も出した。

 選挙戦中盤までは「後藤田優勢」。三億円ともいわれる「カネ」が飛び交ったなどの黒いうわさが絶えなかった。結果は久次米さん十九万六 千二百十票、後藤田さん十五万三千三百八十八票。四万票もの差が開いた。「強引な選挙運動のひずみがでたんじゃないのかね。県民はだませんよ」。武市さん の言葉通り、選挙後、後藤田陣営から二百六十八人もの選挙違反者が出た。

◇  ◇

 昨年九月の県知事選。この時も多くの「カネ」が飛び交ったとされ、捜査の手は現職知事に及んだ。円藤寿穂・前知事(59)は今月十五日、収賄罪で 有罪判決を受けたが、わいろは、選挙資金の必要にかられたものだった。

 出直し選で自民党が支援した候補を破って初当選した大田知事は、「政治とカネ」の問題に正面から取り組み、汚職構造解明を目指す調査団の 設置を提案。多数を占める自民党系など野党が“否決”したが、大田知事は十一月県議会に再度、提案する構えで、野党の対応が県民の注目を集めている。  (南 省至)